今回取り上げるのは、芥川の『戯作三昧』。
この作品は芥川が1917年に発表したもので、主人公である馬琴を通して芥川自身の芸術感が表れていると言われている。
それではさっそく、著者紹介と作品のあらすじから見ていくことにしよう。
著者について
1892年に東京に生まれた芥川龍之介は、現在の東京大学である東京帝国大学に在学中、菊池寛らと刊行した『新思潮』に、『老年』を投稿して作家デビュー。
芥川は英語を教える傍ら創作に励み、初の短編集『羅生門』など精力的に執筆。結婚後はたびたび神経衰弱や体調不良を繰り返しながら、作品を発表していく。
精神的に不安定な中、『続西方の人』を書き上げた芥川は、その後睡眠薬を飲んで自殺したが、35歳という若さだった。
あらすじ
悪評
ある日、銭湯で湯を浴びる馬琴。彼は自身の著作の愛読者である平吉と遭遇する。
馬琴が執筆中の『南総里見八犬伝』を褒める平吉とは対照的に、偶然同じ場にいた小銀杏がこの作品を罵倒するのを馬琴は耳にする。
馬琴に対する悪意のこもった小銀杏の批判によって、彼の気分は一時沈むが、再び自信を回復させて家路につくのだった。
憂鬱
帰宅後、『金瓶梅』の版元を引き受ける市兵衛から原稿の催促をされる馬琴。相手を追い払ったあと、自らの堕落を思う。
そののち、親友であり画家である華山を迎え、彼の絵や著述について語ったのち、馬琴は『八犬伝』の執筆を再開する。
目の前に広がるのは、その時の馬琴にとって駄文ばかり。憂鬱に沈んだ彼の心はしかし、孫の太郎の帰宅により晴れ渡るのであった。
戯作三昧
寺から帰ってきた太郎は馬琴に、よく辛抱するようにと伝え、これが浅草の観音様からの言葉であると説明する。
この太郎の発言に涙する馬琴であるが、その夜に彼は八犬伝の続きを書きはじめ、頭の中で動く光のようなものを感じる。
彼の筆は凄まじく進み、その心は愛憎に囚われることなく、そこにあるのは悦びと感激だけであった。その感激によって、人間は戯作三昧の境地に達するのである。
よみどころ
太郎
憂鬱な気持ちに沈む馬琴を喜ばせるのは、彼の孫である太郎の言葉。物語のターニングポイントであり、一番の読みどころだ。
「もっと、もっとようく辛抱なさいって」
芥川龍之介: 『戯作三昧』、『戯作三昧・一塊の土』所収、新潮社、第65刷 2015、65頁
「誰がそんな事を云ったのだい」
「それはね」
太郎は悪戯そうに、ちょいと彼の顔を見た。そうして笑った。
「だあれだ?」
「そうさな。今日は御仏参に行ったのだから、お寺の坊さんに聞いて来たのだろう。」
「違う。」
断然として首を振った太郎は、馬琴の膝から、半分腰をもたげながら、顋(あご)を少し前へ出すようにして、
「あのね。」
「うん。」
「浅草の観音様がそう言ったの。」
忍耐と努力を説く太郎の言葉が、「浅草の観音様」によるものであることがポイント。冗談として響くその助言だからこそ、馬琴は救われるのだろう。
その後、執筆に没頭する様子が活きいきと描かれるが、それまでの静かな筆致とは対照的な、躍動感ある馬琴の内面描写もチェック。
芥川の芸術感
本作についてよく語られているのが、苦悩する馬琴に投影される芥川の姿と、彼の芸術感。二人は果たして、どの程度重なるだろうか。
いずれにしても、芥川自身の芸術感に、馬琴のそれをそのまま当てはめるのは誤りだろう。
それでも、次の一節は作家としての悦びを知る芥川自身の言葉に聞こえる。これは、物語終盤で馬琴が執筆に熱中する場面だ。
このとき彼の王者のような眼に映っていたのものは、利害でもなければ、愛憎でもない。まして毀誉に煩わされる心などは、とうに眼底を払って消えてしまった。あるのは、ただ不可思議な喜びである。あるいは恍惚たる悲壮の感激である。この感激を知らないものに、どうして戯作三昧の心境が味到されよう。ここにこそ「人生」は、あらゆるその残滓を洗って、まるで新しい鉱石のように、美しく作者の前に輝いているではないか。
芥川龍之介: 『戯作三昧』、『戯作三昧・一塊の土』所収、新潮社、第65刷 2015、68頁
それまで憂鬱に沈み、停滞していた馬琴が、別人のように筆を進めていく。僕の一番好きな箇所でもあるが、これで物語が締められないのがまた良い。
執筆に取り組む馬琴をよそに、「碌なお金にもならないのにさ」というお百の言葉が最後のセリフとして書かれ、響き渡る秋の蟋蟀の声で物語が終わる。
芸術への熱意と、それを周りから見た際の冷ややかな見方の温度差が、物語に単なる芸術論に終わらない、奥行きを与えているようだ。