今回はゲーテシリーズの後編。ゲーテの後半生は彼の執筆活動の中でもとりわけ重要で、『ファウスト』や『親和力』といった作品が生まれた。
前編と同様に、ここでは作品の詳細については扱わないが、彼の魅力的な生涯についてざっくりと確認していこう。
ぜひ下の記事もチェック!少年時代から『若きウェルテルの悩み』の誕生について。▽
ゲーテの生涯(前回のつづき)
ワイマール時代
1775年にゲーテはワイマールに到着し、カール・アウグスト大公から厚遇されることとなる。この地でゲーテは、自身の生涯最期の日まで暮らすのであった。
参事官としての務めを担う彼は、ある日シャルロッテ・フォン・シュタインという7歳年上の女性と知り合うことに。彼女は7歳年上であり、なおかつ7人の子供を持つ人妻。
ゲーテの彼女に対する恋は非常に激しいもので、その様子は夫人に宛てられた手紙や詩に表れている。シュタイン夫人はゲーテに宮廷作法などを教授した人物だったらしい。
イタリア旅行
文学活動をしばらく中断して公務をこなし、ワイマール公国の宰相となったゲーテ は、1786年に無期限の休暇を願い出る。そして彼は予てからの憧れの地、イタリアに足を踏み入れることに。
現地での体験はゲーテ に強いインスピレーションを与え、彼は再び執筆活動を再開。
イタリアでゲーテ は『イフィゲーニエ』を完成させたほか、『タッソー』や『ファウスト断片』などを書き進め、滞在中の日記などをもとに、30年後のゲーテ は『イタリア紀行』を書き綴っていく。
クリスティアーネとの出会い
イタリア旅行を終えたゲーテ は、自然科学の研究に没頭。1790年には色彩学を学び始め、1810年に『色彩論』を発表することに。
イタリアからの帰還後に書かれた詩『ローマ哀歌』は、後のゲーテ の内縁の妻となるクリスティアーネ・ヴルピウスに宛てて書かれたもの。
二人の関係はしかし、彼らの身分の違いゆえに社交界からの批判の的となってしまう。そのうえ、4人の子供を授かる彼らだったが、そのうちの多くは早くも亡くなってしまったのだとか。
シラーとの交流
フリードリヒ・シラーとゲーテの親交の深さは特に有名なもの。それでも最初は、シラーの『群盗』に対して批判的だったゲーテの冷たい態度によって、ある種の反感意識がお互いの間にあった。
しかし、シラーの考えが自身のものに近づいていることを感じたゲーテは、シラーに対する距離を縮め、1796年には詩集『クセーニエン』を発表するまでの仲の良さに。
2人は以後、シュトゥルム・ウント・ドラングに続く古典主義を確立させていくが、この古典主義はシラーの死をもって終わると考えるのが一般的。
彼らの間で交わされた書簡の数は11年間で1000通を超えるほどの相思相愛ぶり。
ナポレオンとの対面
1808年にエアフルトという街でゲーテは、あのナポレオンと歴史的な対面を果たす。
『若きウェルテルの悩み』を遠征の際に携帯し、7回読むほどこの作品を愛していたナポレオンは、ゲーテと会った際に「ここに人あり!」と叫んだのだとか。
このほか、ゲーテはベートーヴェンに対面し、彼はゲーテの詩を用いて作曲したうえ、ウィーンの宮廷劇場の委託によりゲーテの『エグモント』の序曲を作曲するなどしていていたようだ。
ゲーテの晩年
腎臓を患ったゲーテは、湯治に足繁く通うようになる。1806年には彼が長年携わってきた『ファウスト』第一部が完成。翌年彼は18歳の娘に恋をし、この体験からゲーテは『親和力』を執筆していく。
1821年には湯治場で出会った17歳の娘に恋をするも、当時のゲーテは彼女より60歳も年上のご老体。アウグスト公を通じて求婚し、あっけなく散る。
ゲーテの最期
一人息子のアウグストを亡くしたゲーテは、その年『ファウスト』第二部を書き終える。「もっと光を!」という言葉を残してその生涯を終えたという。
そのことの真偽に関しては色々と議論の余地があるようだが、彼の墓はワイマル大公墓所、生涯の友であったシラーの墓の隣に置かれた。
ゲーテの影響力
ここまでゲーテ の人生について駆け足で見てきたが、まず目を惹くのはゲーテ が殊更に恋愛に全力を注いでいる点。
『ファウスト』のグレートヒェンは、ゲーテ が彼の青年期の恋愛から着想を得たもので、『若きウェルテルの悩み』はシャルロッテへの恋無くしては生まれなかった。
ウェルテル効果など、作品が読者層に与えた強い影響力も見逃せない。これは例えば、『若きウェルテルの悩み』の主人公にならい、若者の多くが銃殺自殺を遂げたこと。
また、当時の若者は「褐色の長靴と黄色のベスト、青色のジャケット」というウェルテルそっくりの服装をして自殺を行ったとのこと。
おわりに
ゲーテの生涯については、1833年に完成された自伝『詩と真実』に詳しくまとめられていて、興味がある人は読んでみるのもいいかもしれない。
その中で印象的だったのは、ゲーテの幼少期に関する描写。この箇所を読むだけで、詩人として花を咲かせ、文学史にその名を刻む素質を、彼が幼いころから持っていたことがわかるはずだ。
彼が生きた18世期後半には「天才」という概念が流行ったのだが、ゲーテはまさにこの概念を体現する人物であった。